自分の席を決めずに業務の内容や気分に応じて空いている席で自由に仕事をする、いわゆるフリーアドレスは、1980年代後半に一次ブームとなりました。しかし少数の例外を除き、運用が定着せず席が固定化されたり、成果が認められず従来の固定席に戻ったりする失敗事例が多かったことから、「フリーアドレスは難しい」という風評のもと沈静化してしまったいきさつがあります。
しかし最近、かつての失敗の教訓を踏まえ、フリーアドレスのメリットをうまく引き出した事例が登場してきました。この新しいタイプの「フリーアドレス2.0」はかつてのフリーアドレスとどこが違うのか、成功要件を整理し、成功のポイントをご紹介します。
※「Activity Based Working(アクティビティ・ベースド・ワーキング、abwと略されることが多い)」とフリーアドレスは混同されやすいですが、abwはフリーアドレスだけではなく、固定席のオフィスでも適用できる考え方です。こちらについては4章について詳しく述べていますので、ご参照ください。
フリーアドレスとは
フリーアドレスとは、オフィスから社員の個人席をなくし、業務や気分などで席を移動するワーキングスタイルです。従来の固定席とは異なり、職場内のデスクや共有スペースをその日その時の業務内容やチームに応じて選ぶことができます。
なぜ今、再びフリーアドレスか
かつて困難といわれたフリーアドレスですが、近年成功事例が増えています。かつてのフリーアドレス(フリーアドレス 1.0)と、新しいフリーアドレス(フリーアドレス 2.0)の違いを考察します。
フリーアドレス 2.0 の登場
●テクノロジーの進化
フリーアドレス 1.0 と 2.0 の大きな違いの1つが、ICT(情報通信技術)の進化によるコミュニケーションや情報の扱い方の劇的な変化です。1980年代から1990年代は、机上の固定電話、簡単には持ち運べないコンピュータ端末、膨大な紙文書、雑多なものが詰まったワゴンなどがフリーアドレスの物理的な障壁でした。内線電話を含めたモバイルフォン化、ノート型パソコンやスマートデバイスの普及、ドキュメントのデジタル化といったテクノロジーの進化が、これらの物理的障壁を下げたことは確かでしょう。
●フリーアドレスの導入目的の変化
フリーアドレス1.0の多くは、デスクの共有化や空席の回転率を高めてスペースコストを減らすことをねらいとしたものでした。もちろんスペースコストの削減はメリットがありますが、単にコスト削減のため席を減らすというアプローチは、社員には共感しにくいものであったことが想像できます。最近では、コスト削減以上に働き方変革の舞台作りを重視するケースが目につきます。生産性の向上や活力ある組織風土作りといった経営視点でのメリットと、手際よく仕事をしたい、自分のスタイルで自由に仕事をしたい、といった社員のニーズが合致するため、自分の席がなくなることへの抵抗感が少なくなりました。
●意識や行動様式の変化
自分の席でなくても仕事ができるという実感を持つオフィスワーカーが増えていることも、大きな要因です。実際、コロナ禍以降にリモートワークが増えたこともあり、自宅の他、街のカフェや訪問先の企業のロビーの一角でパソコンを開いて仕事に集中している人を見ることは珍しくなくなりました。今後、フリーアドレス適性が高い社員の比率は間違いなく増えていくと思われます。
フリーアドレス導入のねらい
●コミュニケーション活性化
最近のフリーアドレスの導入目的として最もよく挙げられるは、社内のコミュニケーションの活性化でしょう。それも、同じセクションやチーム内のコミュニケーションというより、組織や立場を越えたコミュニケーションの活性化への期待が高いようです。
席が決まっていないため、いろいろな人と顔を合わせたり会話をする機会が生まれ、部門を越えた顔見知りが増えることにより、組織の壁がだんだんと低くなるという成果が期待されているようです。
●社員の行動様式の変革の促進
フリーアドレスの職場では、その日の仕事内容やスケジュールを考えて働く場所を選ぶことになります。一緒に作業をした方が効率的な仲間が集まり、近くに座ることもあるでしょう。気分を一新するため、午前と午後で別な場所に座ることもあるかもしれません。このように状況に応じた最適な働き方を日常的に意識することで、生産性への意識が高まりや、自律的な行動の醸成が期待できます。
●社員の満足度の向上
フリーアドレス2.0では、そこで働くことが楽しくなるような魅力的な職場職場を実現する例が出てきました。多様な選択肢が用意され、好きな場所を選んで働ける、従来にはなかった執務環境を社員に提供し、満足度の向上をはかるアプローチです。
●コストダウンの実現
スペースコストの削減はフリーアドレスの大きな魅力の1つですが、社員の納得感を得るための導入プロセスが重要です。たとえば、削減したコストを使って最新のPCやデバイスを導入するなど、社員の利便性が向上すると、納得感が得やすいでしょう。
フリーアドレスのメリット
これまでに述べてきたように、フリーアドレスのメリットは以下のようにまとめられます。
生産性の向上
従業員がその日の業務内容や自身の働き方に応じて、最適な場所を自由に選べるため、集中力を高めるための静かな場所や、クリエイティブな発想が求められる場面ではカジュアルな共有スペースを使うなど、柔軟な環境設定が可能になります。これにより、個々の生産性が向上し、業務の効率化にも繋がります。
コミュニケーションの促進
固定席がなくなることで、社員が自然と他部署や異なるプロジェクトに関わるメンバーと同じ空間で働くことが増え、偶発的な会話やアイデアの交換が活性化されます。これにより、部門間の壁が薄れ、チーム全体の協力体制が強化され、イノベーションが生まれるきっかけを作りやすくなります。
社員満足度の向上
社員は自身の働き方に合わせた環境を選べる自由を得るため、業務へのモチベーションが向上しやすくなり、自律的な行動への意識の高まりを期待することもできます。固定の席に縛られることなく、気分転換が容易にできるため、ストレスの軽減にも繋がります。
コスト削減
全社員分の席を確保する必要がなく、オフィスのスペースを効率的に利用できるためオフィス面積を縮小でき、賃料や光熱費が削減されます。リモートワーク環境下でオフィスに来る人が少ない場合においても無駄が少なくなります。
フリーアドレス導入のボトルネック
●導入目的が不明瞭である
前述のとおり、フリーアドレスには様々なメリットがある一方、組織の生産性を高める、コストを削減する、といった経営上の目的を実現するための手段です。したがって、解決すべき課題がなければ、無理をして導入する必要はないわけです。ところが実際には、他社がやっているから、見学したオフィスがいい感じだったから、といったように目的が不明確なまま導入を検討しているケースが少なくありません。これでは社員の同意も得られず、何をもって成功とするのか評価もできません。まずは導入目的をはっきりさせることが、議論の出発点となります。
●社員の納得が得られない
無理に導入すると、社員のモチベーションが下がる、結局席が固定化したフリーアドレスではなくなってしまう、などの失敗につながります。社員から大きな反対の声がないので安心して導入したが、協力を得られず、結局失敗してしまった、というケースもあります。たとえ共感しがたい施策でも、経営メリットが明らかな場合は社員も表立って反対できないものです。形式ではなく、本音の納得が重要です。
●運用がうまくいかない
フリーアドレス導入の際は、固定電話のモバイルフォン化、無線LANの導入、文書のデジタル化(ペーパーレス化)、セキュリティの担保といったシステム面での整備に加え、そのシステムを活用して成果を生み出すための運用上の仕掛けや仕組み作りが必要です。フリーアドレスは運用を考えることから始まり、運用を常に見直していくことで成長する、といっても過言ではないのです。
フリーアドレスのデメリット
運用面において具体的にどのような場面で留意が必要になるのか、フリーアドレス導入におけるデメリットの観点からまとめると以下のようになります。
●コミュニケーション、マネジメント
これまで関わる機会のなかった他部署の社員などと人脈が広がる一方、同部署の社員や上司とのコミュニケーションが減り、マネジメントに支障が生じる場合があります。マネジメントの見直しをはかったり、コミュニケーションツールの活用、決められた曜日に部署でミーティングを行う、などのルールや工夫が必要です。
課題:誰がどこにいるかわからない
自席が決まっていないため、直接会って話したくても相手がどこにいるか分からないという問題が起こります。
解決策・柱に番号をつける(オフィスを住所管理)
・在籍・所在管理システムの活用
課題:チームや部下の状況がわからない
顔が見えないと、メンバーの健康状態や仕事のトラブルなどに気が付きにくいという課題があります。
解決策・One on One ミーティング
・Microsoft Teams(メール、チャット、電話などのコミュニケーションツール)の利用
課題:自分の席がないことで疎外感や帰属意識が希薄になる
自分の居場所がないような気持ちになる人が出てくるかもしれません。
解決策・モバイルロッカーに写真付きネームプレート
→この企業に存在しているという安心感や帰属意識につながる
・マネージャが意識的に声がけ、会社の動きを情報発信する
●書類や郵便物、備品の持ち運び
毎朝、自分のモバイルロッカーから荷物を取り出し、帰宅時には整理整頓してから帰るという運用を徹底することで、机の上を常にきれいな状態に保てます。また、書類を長時間放置することがなくなるため、紙媒体での情報漏えいリスクも低減することができます。
課題:書類をしまう場所がない
個人の荷物をパーソナルロッカーやワゴン、共有収納に収納しきれないという課題は多く見られます。
解決策・リニューアル前から書類廃棄キャンペーン
・文書運用ルールの策定
・電子化、文書保管サービスの活用
・頻繁に使わないものは外部倉庫へ
課題:固定席がないので郵便物を置けない
これまで机に配布していた郵便物を配布する場所がないという課題があります。
解決策・パーソナルロッカーにメール投函口をつける
・出入り口の近くにメール専用棚を設置
・PCや書類、文具など業務に必要なアイテムを電子化、文書保管サービスの活用
課題:文房具や細かい備品の持ち運びが大変
これまでデスクの引き出しに収納していた小物を毎日持ち運ぶのが大変という課題があります。
解決策・PCや書類、文具など業務に必要なアイテムをまとめて移動できるキャリーケース等を活用
・共通の文房具ステーションをつくる
●レイアウト、運用ルール
その時々の気分や業務内容で働く場所を選択し、移動することで、気分が変わりリフレッシュでき、集中して業務に取り組める効果も期待できます。仕事内容に応じた自由なワークスタイルを確立することで、自分の働き方を見直す機会ができ、在宅業務や時短勤務など多様な働き方に対する理解や促進を進めるチャンスにもなりえます。
課題:集中しにくい
オープンなスペースでは周囲の会話が気になり、人によっては集中力が妨げられ、生産性が低下してしまいます。
解決策・集中できるスペースの確保
・電話、私語禁止エリアの設置
課題:席が固定化する
いつも同じ席に座ってしまうことで、結局は席が固定化して、フリーアドレスのメリットが損なわれます。
解決策・運用ルールの徹底
・特徴のある機能別スペース
・ルーレットで決める、1週間ごとにエリアを変えるなど必然的に毎日座る場所を変える工夫
フリーアドレスの成功要件
●目的と期待成果を明らかにする
目的があいまいなままフリーアドレスを検討する危険性は、前述のとおりです。フリーアドレスの検討に際して、真っ先に議論すべきは、「なぜフリーアドレスを採用するのか」です。
●社員の共感と期待感を得る
当たり前に与えられるものと思っていた自席がなくなるのは、頭では理解できていても心情的に納得できない人も多いと思います。なぜそのような取り組みが必要なのかという背景を含め、しっかり共有し、社員の共感を得ることが重要です。
また、経営にとってのメリットだけではなく、個々の社員にとってどのようなメリットやチャンスがあるのかを理解してもらうことも必要です。フリーアドレスの導入においては、抵抗感を上回る期待感を持ってもらえるような、推進者と利用者との密なコミュニケーションが望まれます。
●支援環境を整備する
ICT環境、中でもフレキシブルなコミュニケーション環境(インフラ・グループウェア・クラウドの活用など)と固定電話からの解放は、必要項目といえるでしょう。ほかにも、素早い情報共有のためのデスクトップ共有(簡単に自分のデスクトップを投影できる仕組み)、旬な情報共有のためのサイネージ、仲間の状況を簡単に把握するためのチャットツールやスケジューラーなど、フリーアドレスにおいてICTが果たす役割はとても大きいといえます。
魅力的な執務空間
オフィスを思いっきりおしゃれで楽しい空間にしてしまう方法も有効です。フリーアドレスでは、従来の固定席では考えられなかったような多様な選択肢を持つ執務スペースを実現できます。その特徴を活かして、あるときは家族が集まるリビングのソファのような場所で、またあるときはカフェの片隅で、というように、全く新しい概念の働く場を提供することもできます。これは自分の席がないことや、収納スペースの縮小に対するトレードオフという意味だけでなく、そのような空間で働くことにより新しい行動様式や多様な価値観を育むといった効果も期待できます。
●導入プロセスと運用体制
導入段階で運用体制、ルールやガイドラインといったツール、社員参画の仕掛けなどをしっかり準備し、稼働できるかどうかが、フリーアドレスの持続的な活用の重要な要件といえます。たとえばペーパーレスを例に挙げると、確かにICTの進化によりドキュメントのデジタル化が進み、ストレージや検索のソリューションも普及してきました。しかし、多くのオフィスにはいまだ紙文書があふれており、紙文書からの解放を実現するためにはICT環境の整備だけではなく、紙文書とデジタルドキュメントの役割定義、ドキュメントの取り扱い方の整理、利用者の意識改革やマネジメント方法の見直しといったさまざまな検討を、フリーアドレス導入と並行して進める必要があります。
フリーアドレス導入の成功事例
株式会社内田洋行とブラザー販売株式会社様におけるフリーアドレス導入の成功事例について、以下でそれぞれ、紹介します。
●株式会社内田洋行
株式会社内田洋行は、クラウド導入支援やITインフラ構築、ECOソリューションなどのサービスを提供しています。同社ではフリーアドレスにおける座席の選択に加え、働く時間や場所までを仕事の内容に合わせて選択する「ABW(Activity Based Working)」(※注)を導入し生産性の高いアクティブな組織づくりの装置としています。
ABW導入にあたり、業務の効率を妨げる要素である「紙の書類」「電源と電話線」「LANケーブル」の排除を徹底しました。具体的には、ペーパーレスシステムの導入、オフィス全館への無線LAN導入、スマートフォンやタブレットパソコンによるモバイル化、コミュニケーションインフラの整備です。
さらに、フリーアドレスを定着させるために5つの分科会を運用した結果、80%以上の社員は、「ABW」でコミュニケーションの増加を実感しました。フリーアドレスを活用できる環境整備と同時に、定着までのプロセス実践が成功の鍵といえるでしょう。
※注 同社では、柔軟性や多様性が求められる職場や、働き方改革を加速しようとしているオフィスでは、パフォーマンスを高め多様性を生み出すためのオフィス作りが必要との考えに基づき、戦略的に多様性を生み出す仕掛けや仕組みを組み込んだオフィスを「アクティブ・コモンズ」と呼んでいます。
参考:
魅力あるアクティブ・コモンズ (ABW) 内田洋行のオフィス見学はこちら●ブラザー販売株式会社様
ブラザー販売株式会社様は、主にプリンターや複合機、家庭用ミシンなどを製造しています。「B to Bへの転換」をモットーとして業務変革を目指す一環として、フリーアドレスを導入しました。部門を超えた社員の交流を推進するべくラウンジエリアやクイックミーティングスペースを設けたほか、自社製品を日常的に使用できる場も構築しています。
同社には、約10年前にもフリーアドレスを導入・中止した経緯がありました。今回の再導入では、自由なワーキングスタイルを可能にする社内制度を導入しました。加えて、社員の不安を解消するシステムを整備したことで、フリーアドレスが定着しつつあります。
社員がフリーアドレスを受け入れられたのは、導入理由や目的をトップから社員へ発信した成果でもあるでしょう。導入するだけでなく、定着へのプロセスも重要です。
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