京都大学をはじめ、多くの大学で導入されている「オープンラボ」をご存じですか?
本記事では、フリーアドレスの研究施設版ともいえる「オープンラボ」にフォーカスし、イノベーションを促進するスペースとしてのフリーアドレスについてわかりやすく解説します。
組織のダイバーシティとイノベーションには関連性があることが多くの研究で指摘されています。
そして、フリーアドレスは組織のダイバーシティを実現し、多様な利用者による相乗効果を産み出すイノベーティブな空間となり得るポテンシャルを秘めています。
フリーアドレスの研究施設版ともいえる「オープンラボ」にフォーカスし、イノベーションを促進するスペースとしてのフリーアドレスについて考えます。
イノベーションを促進する組織の要素とは、どのようなものでしょうか。
その1つがダイバーシティだと考えられています。
まず、ダイバーシティとイノベーションの関連性についてみていきましょう。
イノベーションの創出には、技術そのものの独自性や先進性以外にも重要な要素があることが指摘されています。*1:p.358-359
それは、従来のステレオタイプに囚われることなく、既存の技術を斬新な発想から捉え直し、新たな用途開拓をしたり、潜在需要を具現化した魅力的な商品やサービスを開発したりすることです。
そして、そうした価値の創造は、ダイバーシティを推進することによって、組織内の価値観が多様化し、より適切な意思決定が実現し、問題解決の質が向上することによってもたらされると考えられているのです。
ダイバーシティが企業のパフォーマンスを高めることを示した研究もあります。*2:p.14
図1は、製造企業400社、約100万件の特許について、経済価値を調べた調査の結果です。
図1のグレーのバーは男性のみの発明者による特許で、赤いバーは男女の発明者が関わっている特許です。
男性のみの発明者による特許を100%として、男女の発明者が関わっている特許と比較すると、ほとんどの分野の製造業企業で、男女の発明者が関わっている特許の方が経済的価値が高いことがわかります。
製造業全体では、2016年が1.44倍、2018年が1.54倍となっており、性差だけとっても、ダイバーシティがイノベーションの創出に寄与し、企業パフォーマンスを高めることがわかります。
上述の事例では、性差を取り上げましたが、ダイバーシティは必ずしも、よくいわれるようなジェンダーや年齢などに限定したものではありません。
ダイバーシティはもともとは「ジェンダー、人種、民族、年齢における違いのことをさす」概念でした。*3:p.60, pp.64-65
しかし、時代の変遷とともにその範疇が拡大し、現在では個人のもつほとんどの属性を含むとする研究者もいます。ダイバーシティは以前より包括的な概念として捉えられるようになっているのです。
また、多様性の要素の中には、見えやすい表層的なものと、見えにくい深層的なものがあると指摘する研究者もいます(図2)。
表層的なダイバーシティは見てわかるものですが、深層的な方は表にあらわれていないため、理解するのに時間がかかります。そのため、組織マネジメントの視点からすると、深層のダイバーシティをどう生かしていくかが大きな課題だと指摘されています。
そう考えると、同じ職場で働くメンバーが自由に交流し、多様な関わり合い方をすることで、一見、把握できないタイプのダイバーシティをも生かすことができ、それがイノベーションにつながる可能性があると考えていいのではないでしょうか。
現在、日本では、個室だった研究室の壁を取り払って研究者同士の交流を促す「オープンラボ」が普及しつつあります。
研究施設版フリーアドレスともいえる「オープンラボ」の取り組みと効果についてみていきましょう。
文部科学省は2014年、「国立大学等施設設計指針」を15年ぶりに改定し、「オープンラボ」方式の普及に乗り出し、公立・私立の大学にも導入を呼びかけています。*4
この指針改訂の背景として、政府の教育再生実行会議が、イノベーション創出に向けた大学の研究環境整備を提言したことが挙げられます。
オープンラボの狙いは、交流を通じて研究の場を活性化し、新たな発想を生み出すことです。
同指針では、国際社会で活躍する人材育成のためには「必然的に出会いを生み、お互いを触発し合う様々な交流空間を設けることが重要」と指摘され、オープンラボの発想による施設設計の導入を推奨しています。
従来は、各研究者に個室である研究室が与えられ、必要な実験機器や資料がそれぞれの部屋にそろっていることもあって、異なる分野の研究者との交流が限定的になっていました。
オープンラボは、そうした研究室の壁や仕切りをなくして、1つの大きな部屋の中に複数の研究者の机や実験機器などを配置するものです。 そうすることで、「お互いに研究の様子が目に触れるようにし、実験の進捗などについて自然と情報交換が行われるようにする狙いがある」と文部科学省の担当者は述べています。
現代的なオープンラボの先駆けは、スタンフォード大学のBIO-Xだといわれています。*4, *5
医学、生物学をメインに、工学、化学、物理、情報工学などの研究者が協力し、新しいイノベーションを生み出すための施設として2003年に建てられました。
完全にガラス張りのオープンラボで、屋外に交流スペースがあります。
その後、グラッドストーン研究所、サンフランシスコのステムセルの研究所、ロシア、エジンバラ、シンガポール、インドなどさまざまな国・地域にオープンラボ形式の研究所が普及しました。
日本でも、京都大学が2010年に「京都大学iPS細胞研究所(CiRA)」をオープンラボ方式で新設した他、さまざまな大学で導入されています(図3)。*6:p.6, p.9
CiRA(図2:右)は、壁を排除し、同じフロアに複数の研究室が同居しています。また、吹き抜け部分に螺旋階段がある設計で、フロアからフロアへの上下の移動も容易です。
従来の研究室とオープンラボの違いをみてみましょう(図4)。*6:p.7
従来の研究所は研究室毎に壁で仕切られていました。
一方、オープンラボは教授室だけが隅にまとめて配置され、それぞれの研究室と研究員室は共有スペースになっています。
このようなデザインのコンセプトは、固定的な席を設けないフリーアドレス・オフィスと合致します。
研究発展のためには、異分野交流が欠かせません。*5
そのため、必然的に出会いを生み、お互いを触発し合う様々な交流空間を設けることが重要です。
オープンラボは、その時々のプロジェクトに応じて個々のラボスペースを伸縮することもできますし、研究倫理やハラスメントなどもオープンラボが可能にする交流によって減ることが期待できます。
その点でも、フリーアドレス・オフィスはオープンラボと共通の特性をもっているといっていいでしょう。
これまでみてきたように、個室だった研究室の壁を取り払って研究者同士の交流を促す「オープンラボ」と、オフィスの固定席を廃止して、出社した者が自由にデスクを選ぶことができるフリーアドレスには共通点が多いといえるでしょう。
フリーアドレス・オフィスの導入状況とオフィスワーカーの生産性(ワーカーの情報交換度、創造性、モラールの3指標)との関係を対象にした研究でも、3つの指標すべてにおいて、何らかの形フリーアドレス・オフィスを導入している企業で働いているワーカーの方が高い平均値をマークしていました。*7:pp.69-70
特に、情報交換度と創造性では、フリーアドレス・オフィスを導入している企業で働くワーカーの方が統計的に有意に高かったことが報告されています。
フリーアドレス・オフィスでは、ワーカー間の交流が自然に生じるため情報交換が活発に行なわれ、その結果、情報の新結合が起こり、それが創造性の向上に結びつくのではないかと考えられます。
このようにフリーアドレスは、オープンラボと同様、多様なメンバーとの出会いを産み、出会った者同士の相乗効果を産み出す、イノベーティブな空間となり得るのです。
[2023.07.18公開]
*1) 牛尾奈緒美 「イノベーションをもたらす ダイバーシティ&インクルージョン」(『研究 技術 計画』 Vol. 36, No. 4, 2021) pp.358-359
*2) 科学技術振興機構 渡辺美代子 「ジェンダード・イノベーション 趣旨説明」(日本学術会議公開シンポジウム ジェンダード・イノベーション(Gendered Innovations) ~一人ひとりが主役の研究開発が新しい未来を拓く~) [2021年8月18日] p.14
*3) 中村豊(2017)「ダイバーシティ&インクルージョンの 基本概念・歴史的変遷および意義」(高千穂大学『高千穂論叢』) p.60, pp.64-65
*4) 日本経済新聞 「大学「オープンラボ」普及へ 研究室、壁を外し交流を」 [2014年8月11日 22:27]
*5) 文部科学省 「今後の国立大学法人等施設の整備充実に関する調査研究協力者会議 資料3 前回会議(第3回)における主な意見」
*6) 文部科学省 山中伸弥 「イノベーションの創出を活性化させる研究施設 -iPS細胞研究の経験から-」 p.6, p.9, p.7
*7) 古川靖洋(2018)「フリーアドレス・オフィス導入の目的とその効果」(関西学院大学ジポリトリ『総合政策』) pp.69-70