偶発性がメリットを呼び込む! 経験的フリーアドレス幸福論

偶発的な出会い 新たな情報獲得

「フリーアドレス幸福論」とはいったい何のことでしょう!?
本記事では、筆者の経験や体験談も交えて、フリーアドレスにおける偶発的な出会いがもたらすメリットについてわかりやすく解説します。

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フリーアドレスには多様なメリットがあることが、さまざまな研究者によって指摘されています。そのメリットの多くは、顔を合わせるメンバーや近くの席のメンバーが固定的ではないというところから生じるものです。

筆者はこれまでさまざまな大学で非常勤講師として働いてきました。
固定的な席はなく、その都度、さまざまなバックグラウンドをもつ教員が顔を合わせ、集い、交流する―大学の「非常勤講師控室」はまさにフリーアドレスです。

そこから得た経験を交え、偶発的な出会いがもたらすメリットについて考えます。

フリーアドレスがもたらす偶発性

フリーアドレス・オフィスとは、「業務形態やオフィスでの在籍率に応じて、オフィスの固定席を廃止し、出社した者が自由にデスクを選ぶことができるオフィスレイアウト」のことです。*1:p.64

フリーアドレス・オフィスがうまく機能すれば、多岐にわたるメリットが期待できることが指摘されていますが、本稿ではフリーアドレスだからこその偶発的な出会いがもたらすメリットにフォーカスします。

フリーアドレス・オフィスは、1970年代初頭にアメリカで行われたオフィス実験が端緒だといわれています。*2:pp.54-55
この実験は、ある大企業で個室だったオフィスの壁をすべて取り払い、席も共有し、フリーアドレス化するというものでした。

その結果、ほとんどの従業員が以前に比べてオフィス内を自由に動き回るようになり、周囲の顔ぶれが変わって、ふだん話をしないような人とも活発にコミュニケーションが図られるようになりました。

ここでのキーワードは「弱い紐帯(ちゅうたい)」。「紐帯」とは紐のように2つのものを結びつけ繋げる、大切なものという意味です。

社会ネットワーク理論では、日ごろ会わない人との繋がりを「弱い紐帯(ちゅうたい)と呼び、異なるコミュニティをつなげ、異質な情報に触れる機会をもたらすと考えられているのです。そして、その弱い紐帯はクリエイティビティ(創造性)と関係があることが実証されています。

それはまさに、筆者が長年「非常勤講師控室」を利用しつつ実感してきたことと重なります。

「非常勤講師控室」というフリーアドレス

筆者はこれまでさまざまな大学で非常勤講師として働いてきました。教授・准教授だったときにも非常勤講師を続け、その期間は現時点で28年間に及びます。

非常勤講師は「非常勤講師控室」と呼ばれる部屋で授業前後の時間を過ごしますが、そこはまさにフリーアドレス。固定的な席はなく、さまざまな専門分野の非常勤講師が集い、交流します。

大学の非常勤講師は多様です。
一般に大学院修士課程を修了していることが雇用条件であるため、大学院博士課程に在学中の「学生」もいますし、大学の非常勤講師のみで生計を立てる、いわゆる「専業非常勤講師」もいれば、他校に本務校をもつ教員(教授、准教授、講師など)もいます。

学歴もキャリアも専門分野も、性別、国籍、民族、年齢もさまざまです。
また、大学教員には個性的な人が多く、服装もヘアスタイルも化粧も、非常に自由でバラエティーに富んでいます。スーツにネクタイの人もいれば、ダメージジーンズの人もいる。着物の人もいれば、Tシャツ・短パンにスニーカーの人もいるといった具合です。

さらに、顔ぶれは常に流動的です。担当曜日・時間が学期あるいは年度によって異なることもありますし、別の大学に移動する人もいます。
そのため、いつ誰と顔を合わせ誰と言葉を交わすのかは非常に偶発的なのです。

長年「非常勤講師控室」を利用してきた経験から見えてきたのは、フリーアドレスだからこその偶発的な出会いがもたらすメリットです。

偶発性は幸福をもたらす?

その偶発性が思いがけず幸せな状況を産みだす―筆者は自身の経験からそう考えています。
それはなぜでしょうか。

多様な視点

さまざまな背景をもつ多様な人々が集う非常勤講師控室では、さまざまな会話が交わされています。

たとえば、お互いの専門領域や担当科目、履歴にはじまり、他校の雇用条件や授業形態(最近では対面かオンラインか、ハイブリッドかなど)、学生たちの様子、今抱えている論文について、等々です。もちろん、とりとめのない雑談も。

ある大学の非常勤講師控室では、お昼になるとそこにいるメンバーが皆で大きなテーブルを囲み、ランチをいただきながら、おしゃべりします。

こうした環境の中で、筆者にとって特に有益なのは、多様な視点が得られることです。
たとえば、筆者は日本語教育を専門にしています。対象者は日本語ノンネイティブ。つまり、異文化をもつ人々なのですが、では、文化とはなんでしょう。

それは捉えどころがなく、ただ1つの「正解」があるわけでもない難しい問いです。しかしその捉え方は確実に教育活動に反映される、切実な問いでもあります。
さまざまな文献を読んだり、研究発表を聴いたり、仲間と議論したり、日々の自身の実践を検討し振り返ったりしながら、自分なりの答えをみつけ、その答えを常に検証し直す必要があります。

そして、その問いに向き合うとき大切なのが、「視点」。同じ物体を見るのでも、その物体までの距離や角度、見る方法によって、まるで違って見えるのと同じです。

できるだけ多角的・多面的に見ようとするアプローチもあれば、思い切ってある1点に絞るという方法論もありますが、いずれにしてもさまざまな視点を備えていることが必須です。
しかし、1人の人間がいくらがんばっても、思考には限界がある。

一方で、「文化とはなにか」という問いは、なにも日本語教育分野に固有のものではありません。文化人類学や社会学、言語学、心理学、もっといえば、すべての学問領域において重要な問いであるといってもいいかもしれません。

多様な分野を専門とする人々と触れ合い、言葉を交わすことで、ふいに大切な気づきに恵まれる。そして、それによってさまざまな視点を得ることができる。
それはフリーアドレスが筆者にもたらしてくれる恩恵です。

異なるネットワークがもたらす情報

実は大学教員は、意外と雇用が不安定です。

たとえば上述の「専業非常勤講師」(本務校をもたず、非常勤講師だけで生計を立てている教員)が大学教員の3分の1を占めています。
専業非常勤講師は何校かかけもちして、ある程度のコマ数(授業時間)をこなさなければ生活が成り立たず、「高学歴ワーキングプア」とまでいわれています。*3:p.1

また、本務校をもつ教授・准教授・講師であっても任期付きは珍しくなく、在職期間中に成果(論文など)を上げて、次の就職先を探さなければならないという厳しい状況があります。

こんなことがありました。
ある大学の非常勤講師控室で、たまたま顔を合わせたメンバーでおしゃべりする中、Aさんが次の職を探しているという話をしました。 すると、Bさんが、「確かその領域のポスト、うちの大学でもうすぐ空くんじゃなかったかなあ」と言い出したのです。

残念ながら、その話は実を結びませんでしたが、それがきっかけになって、Aさんが職を探していることがメンバー間で共有され、それぞれが自身のネットワークで得られた情報をシェアしたことで、Aさんは幸運にも新たな職場を得ることができました。

「計画的偶発性理論」が指し示すこと

スタンフォード大学のクランボルツ教授が1999年に提唱した「計画的偶発性理論(Planned Happenstance Theory)」という理論が注目を集めています。*4

この理論の前提は、「人が進路選択を行う際、偶然のできごとが重要な役割を果たす」ことです。*5:p.384
同教授は、数百人に上るビジネスパーソンのキャリアを分析した結果、「キャリアの80%は、予期しない偶然の出来事によって形成される」という事実を明らかにしました。*4

そして、「決定論的に将来の目標を明確に決め、そこから逆算して計画論的に将来のキャリアを作りこんでいくやりかたは現実的ではない」と主張したのです。

偶然の出来事に遭遇すると、本人も自覚していなかった新たな分野への興味が喚起され、新しいことがらを学習する機会が得られます。*5:pp.384-385
そのような機会を増やすように努め、将来に対してオープンマインドで臨む。そして、偶然のできごとを自身のキャリア形成に取り込むことが重要であると同教授は提唱しています。

また、偶然のできごとを自身のキャリア形成に取り込むためのスキルとして、「好奇心」「粘り強さ」「柔軟さ」「楽観性」「リスクテイキング」が重要であることが説かれています。

では、キャリアに大きな影響を与える「偶発的要因」とはなんでしょうか。
その代表的なものは「人との偶然の出会い」であると考えられています。*5:p.389, p.390
そして、フリーアドレスの文脈で指摘されている「弱い紐帯」が、偶発理論の文脈からも取り上げられているのです。

「弱い紐帯」仮説を発表した社会学者のマーク・グラノヴェッター教授は、転職する際に、 労働者は強い紐帯を持つ(いつも会う)人よりも、弱い紐帯を持つ(たまにしか会わない)人から役に立つ就業情報を得るという傾向を見つけました。*6:p.41

いつも会っている人々には、既に知られている同じ情報を共有するという傾向があります。それで、むしろ、たまに会う人からの方が多くの新しい情報を入手する可能性が高いというわけです。

これは上述の筆者の経験にぴったり符合します。

フリーアドレス・オフィスは偶発的な出会いを産み、それが新たな情報獲得につながることによって利用者にメリットもたらす、幸せな空間なのです。


[2023.07.18公開]

出所一覧

*1) 古川靖洋(2018)「フリーアドレス・オフィス導入の目的とその効果」(関西学院大学ジポリトリ『総合政策』) p.64

*2) 稲水伸行(2019)「活動に合わせた職場環境の選択が 個人と組織にもたらす影響 ─ Activity Based Working/Office とクリエイティビティ」(日本労働研究雑誌) pp.54-55

*3) 上林陽治(2021)「専業非常勤講師という問題 ―大学教員の非正規化の進展とその影響」(社会政策学会誌『社会政策』第12巻第3号) p.1

*4) PHP研究所 「クランボルツの「計画的偶発性理論」とキャリア開発」 [2019年10月1日]

*5) 下村英雄・菰田孝行(2007)「キャリア心理学における偶発理論―運が人生に与える影響をどのように考えるか―」(『心理学評論』Vol.50,No.4) pp.384-385, p.389, p.390

*6) 渡辺深 「グラノヴェター『転職─ネットワークとキャリアの研究』」(『日本労働研究雑誌』No.669) p.41

著者横内 美保子
博士(文学)。総合政策学部などで准教授、教授を歴任。専門は日本語学、日本語教育。
高等教育の他、文部科学省、外務省、厚生労働省などのプログラムに関わり、日本語教師育成、教材開発、リカレント教育、外国人就労支援、ボランティアのサポートなどに携わる。パラレルワーカーとして、ウェブライター、編集者、ディレクターとしても働いている。

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